ソ連軍の捕虜となった多数の将兵は
ソ連軍の捕虜となった多数の将兵は、現地指揮官達が保身のために結んだ一時協定によって、長期に渡ってシベリアやモンゴルの収容所に抑留され、極地での労働に酷使されて多数が死亡した。
日本陸軍内部は終局まで徹底抗戦の意思で統一されていたが、米国が使用した原爆の破壊力とソ連軍の侵攻による共産化の恐怖の前に、日本政府は降伏を決定した。
一部の陸軍将校はこれに反発して皇居を占拠してクーデターを試みた宮城事件を起したが失敗した。
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陸軍の解体
太平洋戦争(大東亜戦争)では歩兵部隊を主力に、戦車部隊や航空隊を南方に派遣したが、多くを失った。ポツダム宣言受諾後、戦闘行動を停止した各地の陸軍部隊は、それぞれその地区を管轄する連合国軍に降伏し、その管理下で復員業務に従事することとなった。
そして、陸軍省も第一復員省、復員庁に改組され、その後陸海軍の残務処理は厚生省、後に厚生労働省が担当することとなった。なお、陸地測量部は内務省地理調査所を経て国土地理院として、また陸軍病院については、軍医とともに国立病院(現・国立病院機構)へと移管され、国営医療機関として現在まで続いている。